四つの夕暮れの歌の最後を飾るのは、《死者の迎える夜のために》。
これまでの三曲とは異なり、冒頭から決然としたピアノが響きます。
そのリズムは曲の最初から最後まで一貫して刻まれ、立ち止まることなく前へ、前へと進んでいく。
いくつもの小さな場面を積み重ねるというより、曲全体がひとつの大きなフレーズとなって、ただひとつのゴールへ向かって音楽を紡いでいくように感じます。
「死者の迎える夜のために
今日残されたものは
ひとつの夕暮れ」
ここでは、それまでどこか遠くにあった「終わり」が、「死」という言葉によってはっきりと姿を現します。
冒頭の和声は厳しく、逃れることのできない現実を突きつけられるようです。
けれど、音楽はその場所に留まり続けません。
途中、ふっと景色が変わるような転調があります。
それまでの厳しい響きの中に光が差し込み、私はそこに、ほんの少し「希望」を含んだような響きを感じます。
死へ向かう音楽でありながら、ただ暗闇へ沈んでいくのではない。むしろその先に、何かから解き放たれていくような感覚があります。
そして終盤。
これまで生きてきた時間が走馬灯のように次々と巡り、手を取り合って歌う子供達の姿までたどり着く。
出会った人。
見てきた景色。
喜びや悲しみ。
始まったこと、終わったこと。
それらすべてが一気に駆け巡りながら、音楽は最後の一点へ向かっていく。
そこに私が感じるのは、恐怖というよりも「昇華」です。
生きることから、死ぬことへ。
光から、影へ。
けれどそれは、光が完全に消えてしまうということではないのかもしれません。
第一曲《夕暮れは大きな書物だ》から、この連作にはずっと「夕暮れ」がありました。
夕暮れは、昼が終わる時間であると同時に、夜が始まる時間でもあります。
終わりと始まりの境界。
光と影のあいだ。
第一曲で遠くから眺めていた「終わること」は、第二曲で自分自身への問いとなり、第三曲では光と影の境界の中で「もう一人の自分」と出会い、そして第四曲で、ついに死という大きな終着点へと辿り着きます。
けれど、その最後に私が感じるのは、絶望ではありません。
すべてを手放し、現世から解き放たれ、どこかへ還っていくような感覚。
ひとつの夕暮れを残して、夜へ。
《四つの夕暮れの歌》は、そんな静かな昇華の中で幕を閉じます。
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