「光と影のあいだに」No.12-誰が明かりを消すのだろう

第二曲《誰が明かりを消すのだろう》

何かを考えている、その途中から聞こえてきたような前奏。

まだ考えはまとまっていない。

けれど、頭の中を巡っていた言葉が、ふと無意識のうちに口からこぼれるように、

「誰が明かりを消すのだろう」

と歌が始まります。

この「明かりを消す」という言葉。

一日の終わりに部屋の明かりを消す、そんな日常的な行為のようでいて、私はここに「人生の終焉」を感じます。

いつか自分の人生にも、終わりがやってくる。

けれど、その明かりを消すのは一体、誰なのだろう。

誰が。
何が。
いつ。

私は知らない。

詩の中では、

恋人達は知っている。
子供達は知っている。

けれど、

「私は知らない」。

なぜ恋人たちは知っているのだろう。
なぜ子供たちは知っているのだろう。

そして、なぜ「私」だけが知らないのだろう。

この詩は、その答えを教えてはくれません。

林光の音楽もまた、答えを提示するというより、ひとつの問いの周りを思考が巡っているように感じます。

自分の人生がいつか終わるということを、人は知識としては知っています。それでも、自分自身の「終わり」を本当に理解することはできない。

だから、

「誰が明かりを消すのだろう」

という問いには、少し怖さがあります。

けれど同時に、とても静かな問いでもあります。
死を劇的に描くのではなく、夕暮れの中でふと自分の人生について考えてしまった。

そんな瞬間。

第一曲《夕暮れは大きな書物だ》では、夕暮れの中に「はじまること」と「終わること」がありました。

第二曲では、その「終わること」が、少しずつ自分自身へ近づいてきます。

夕暮れを眺めていたはずなのに、

いつの間にか、

自分の人生の終わりについて考えている。

けれど、どれだけ考えても、

私は知らない。

その答えのない問いを抱えたまま、第二曲は終わります。

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