今回取り上げるのは、ヴィヴァルディのオペラ《ポントの女王アルシルダ》より “私はジャスミンの花”です。
この作品は3幕のオペラ・セリアで 、物語の舞台は古代キリキア(現在のトルコ南部付近)とポント王国。王族・偽り・変装・恋愛・政略が絡む、複雑でドラマティックな筋立てになっています。性別や身分の偽装/変装が物語の鍵となっており、当時としては “女性が男性装する” 展開も含まれ、センセーショナルな要素を持っていました。 恋愛だけでなく、王位継承・政治的陰謀・復讐・仲間の裏切りといった重層的なテーマも描かれています。
1716年、ヴェネツィア・サンタンジェロ座で初演されたこの作品の中で、“私はジャスミンの花”は、侍女ミリンダが歌うアリアとして置かれています。劇的な駆け引きから少し離れた場面で、彼女の心情を映すように、ひそやかで清らかな花の歌が響きます。重たいテーマのこの作品の中での息抜きのような役割を担っていたアリアともいえます。
【原詩(伊語)】
Io son quel Gelsomino vicino al ruscelletto
Che ascosto tra l’erbette soletto se ne sta;
Ch’ha sol con fresche aurette diletto a favellar
Senza provar timor,
Che sopra il suo candor ape a posar ne va.
【大意】
私は、ジャスミンの花 小さな小川のすぐそばの
草むらに身をひそめて ひとり、そこにたたずんでいる
ただ、さわやかなそよ風と 語らうことをよろこびとし
恐れることもない 私の白さの上に 蜂がとまりに来ることさえも
ジャスミンは甘やかな香りを放ち、純潔や優美さの象徴とされる一方で、その白さは儚さや傷つきやすさも思わせます。このアリアの歌詞では、花自らが語りかけるように「私はジャスミン」と名乗ります。それは自らの存在の美しさと同時に、壊れやすさや孤独を抱えた声でもあります。音楽は軽やかで親しみやすい旋律を持ちながら、繊細な装飾が折り重なり、花びらの一枚一枚が揺れるかのような空気感を含んでいます。
性別を偽る女王をめぐる愛と策略の物語《ポントの女王アルシルダ》の中でのこの曲の位置づけは、騒がしい駆け引きから離れた小さな挿話・清涼剤として現れます。舞台上の緊張が緩み、ふと観客が心を澄ませる瞬間。そのひそやかな美しさが、かえって強い印象を残すといえます。歌う際にも、軽く可憐な花びらがふわふわ揺れるようなエアリーな自由さと柔らかさをはらんだ表現が求められており、再現部でのカデンツァの装飾の付け方にもこだわりました。
次回は、同じヴィヴァルディの作品からオペラ《バヤゼット》から“私は蔑ろにされた花嫁”を取り上げます。

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